要塞都市ゴールを報告します。
ゴールは17世紀に先に居留していたポルトガル軍をオランダ東インド会社が攻略してポルトガルを追放し、その地に要塞都市を築いたものです。18世紀末にイギリスに敗れるまでの間、軍事拠点、交易の拠点として繁栄しました。1796年にイギリスの支配に変わった後も、イギリスはそのまま要塞都市を保存して行政の中心として利用しました。大航海時代のことです。
海の突き出した小さな半島状の部分をぐるり高い城壁で囲み、出入りは城壁に開けられたアーチ状の門一か所だけです。城壁の上には時計台、見張り塔、たくさんの砲台、銃口が備わっています。長手700m、幅500m程度の規模です。
この手の要塞都市として一番有名なのはアドリア海の真珠とうたわれているクロアチアのドゥヴロヴニクがありますが、規模はほとんど同じ、迫力、美しさではドゥヴロヴニクが圧倒しています。ともにユネスコ世界遺産に登録されています。
(ドゥヴロヴニクについては2006年のキエフ便り「アドリア海の真珠」をご覧ください。)
1. 要塞の外側から見た城壁です。 時計台がそびえています。
2. 5まで城壁の上からの眺めです。
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6. 城壁の外側へ張り出した見張り塔、ヨーロッパの城の典型的なスタイルです。
7. 要塞への唯一の出入り口、アーチ型をしたトンネルです。当時は堅固な扉があったことでしょう。
8. 城門の反対側に古い灯台があり、その下に小さなビーチがありました。
岩に囲まれているので波も少なく、プライベートビーチの雰囲気です。
9. この種類の木はスリランカの至る所にあります。垂れ下がっている蔦状のものがすごいですね、これが地面に届くと根になるようです。
奥に見えてる長い建物は城壁の一部をなしていて、中ほどにアーチ状の門があります。
10. アーチ状の門を出ると船着き場に出ます。
往時は大型帆船がひしめいていたことでしょう。
“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 愛車 “轟カル号” と共に渡ったXX国からお伝えします。ジオポタ海外支部からの便り
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