“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 愛車 “轟カル号” と共に渡ったXX国からお伝えします。ジオポタ海外支部からの便り

2009年12月30日水曜日

今日のトピックス

ことし最後の便りです。
先週前半までマイナス20度前後を記録していた気温が水曜日から急に暖かくなり、前日から一気に20度も上がりました。
東京並みの気温です。
地球温暖化の影響でしょうか!

昨日から湿ったベタ雪が降り続いています。
ここは寒いのにはなれていますが、ベタ雪には人々も樹木もなれていないと見えて、道路は大混乱、空港も半日以上閉鎖されました。
樹木も重い雪にはなれていないので、雪の重みで枝が折れるもの、根っこから倒れるものなど続出しています。
キエフは寒くならないと良い天気になりません。

昼飯を食べに行くのも、長靴を履いて出たのに除雪してある車道しか歩く事が出来ませんでした。

2009年12月26日土曜日

二人のカーチャ

アパートの同じ階の3軒隣に住むセルゲイさんに年頃の娘さんがいることは以前、紹介しましたが、朝の出勤時間が私と同じころなので時々エレベーターホールで出会います。

このひとほど清純な感じの女性をこれまで見たことがない。
お父さんは金髪なのにこのお嬢さんは黒髪のストレートでクレオパトラのように肩のあたりでカットしている。
まだ挨拶を交わす程度ですが今度会ったら名前を聞き出そう!

街に出れば周りは美女だらけ、地下鉄に乗ってもあっちにもこっちにも美女、犬も歩けば美女に当たるなど、私のキエフ便りを読むとウクライナは男性諸君にとって天国のような印象を受けるかも知れません。
しかし、そのつもりでウクライナに来ると失望する可能性があります。
私の便りは話し半分どころか、話し10分の1ぐらいに聞いておいて下さい。

今月11日に日本商工会の忘年会がありまして、私も招かれて行って来ました。
テーブルの近くの人達と名刺交換をしました。顔ぶれは以下のような人達です。
三菱商事、丸紅、三井物産、ホンダ、トヨタ、三菱自動車、スバル、レクサス、パナソニック、日本大使館の書記官などなど----
彼らの話でもっとも印象に残ったのが、こちらに来る前にはウクライナは美女がごろごろいると聞かされて、実際に来て見ると全く美女などいないではないか、という発言です。
それも一人や二人ではなく、おおかたの一致した意見のようです。

我が職場でも同じような話は聞きました。
私以外はみな海外でのみ仕事をしてきたスペシャリストですが、ではどこが一番良かったか、という質問には東南アジア諸国を挙げる人が最も多い、次いで南米など。
なんとなく分る気もします。

2006年の設計段階ではピーク時に日本人スタッフが13人ほどいました。今でもいるのは私ともう一人だけです。
ウクライナはもうたくさんという人も何人かいました。このような過酷な環境で仕事をするには特別手当を貰わないと合わないと主張する人もいました。

ウクライナは天国どころか地獄かも知れない。
私はその地獄に一目惚れしてしまった。
そのウクライナでは平均的な器量の二人のカーチャですが私にとってはとても可愛い存在です。

2009年12月23日水曜日

きょうのスナップ

日本も寒波襲来のようですね!

きょうのスナップは今朝のオフィスの窓です。
長さ1m近くに育ったツララが見事!

今朝、出勤時の気温はマイナス17度、明日からは東京並みに暖かくなる予報です。当たると良いね!

2009年12月20日日曜日

きょうの風景

最近毎日雪が降っています。
雪の日は暖かく、マイナス13〜15度程度です。きのうまでの粉雪に代わり、きょうは日本のスキー場のような雪に変わりました。

綺麗な雪印の結晶をしています。気温が高くなったようです。窓の外に置いた温度計もマイナス10度を指しています。
この程度ならば雪が固まるかも、試しましたが、やはり固まりません。子供達に大きな雪だるまを作ってやろうかと思いましたがだめです。もっと気温が上がらないと雪だるまも、雪合戦も出来ないようです。
マイナス25度以下のときの雪は発泡スチロールを粉にしたようなものでさらさら状態、重量がありません。ダイヤモンドダストが見られます。

今日の写真はアパートの窓からの風景です。クリスマスツリーを飾るモミの木の枝を買って帰る人を見かけます。

2009年12月16日水曜日

天皇誕生日

こちらは先週からマイナス10度以下の世界に突入していまして、週末にはマイナス20度台の予報が出ています。

きょうは日本大使館主催の天皇誕生日と天皇即位二十周年を祝うレセプションが開催されました。

会場のホテル前は黒塗りの外交官の車をはじめ、招待客の車でごった返していました。

会場は意外と狭く、芋の子を洗うような混雑ぶり、
両国の国歌がそれぞれの歌手により歌われた後、大使が挨拶して、その後は会食と歓談に入りました。

1月の大使公邸で開かれる新年会は日本人だけなのでもっと料理が味わえます。

ツーショットの写真はユーリヤさんです。
お嬢さんの具合はだいぶ良くなったそうで、新インフルではなかったのかも知れません。

このレセプションでロシア小咄を地で行く面白い出来事がありました。

日本文学をロシア語やウクライナ語に翻訳して、日本文化をロシアやウクライナへ広めている学者がいまして、その功績に対して日本政府から勲章も授与されました。
その学者がこのレセプションにも招かれていまして、最近の村上春樹の小説を翻訳した本を出版しました。(日本の事情に疎いので私は分かりません) その本を二冊も持った婦人がいた。我々は彼女が彼の熱烈な愛読者と思い、仲間が教授に彼女の本にサインするように求めた。
何故か教授は拒否する。
日本では有名人は愛読者にサインする習慣があることなど話しして説得したけれども、頑なに拒否する。

「私は妻にはサインしません」 なんとその婦人は教授の奥さんだった。

2009年12月14日月曜日

別荘ライフ

今週は予報どおり寒くなりました。
きょうの最高気温はマイナス8度でした。
最低気温はわからない
来週の後半はマイナス18度になると地元の天気予報には出ていました。

土曜日は予定どおりユーリヤさんの別荘に行き、一泊してきょう帰ってきました。

私のアパートのある地下鉄路線の終点の駅”セレッツ”に迎えにきてもらい、いったんユーリヤさんのアパートに行き、荷物を積んで出発。

12歳になる娘さんは風邪を引いて熱があるとかで、家に残る事になり、
隣に住む義母に面倒を見てもらうことになりました。
後に電話のやり取りで新型インフルに感染したことが分かり、あまり落ち着かない雰囲気になってしまい、残念!
翌朝には熱も引いたとかで一安心、予定を早めて午後2時に帰宅の途につきました。

ユーリヤさんの別荘はキエフの北西約50キロのところにあり、周りを森に囲まれた一団の別荘村にあります。

キエフの郊外や周辺にはおびただしい数の別荘があります。
キエフには別荘を持てる富裕層がたくさんいると言う訳ではなく、歴史的背景があります。

ソ連時代、都市の食料事情が大変悪化していた時期があり、都市の住民に自給自足をさせる目的で田舎に土地を与え、農作物の栽培をさせました。
一区画は約600平方メートルです。敷地内には極めて小さい建物しか建てることが許されず、トイレや浴室も認められなかったようです。
ウクライナ独立後そこを別荘として利用している訳です。
もちろん建物は建て替えています。昔の小屋はそのまま残して、納戸などに使っているお宅もありました。

ユーリヤさんの別荘はご主人の両親が建てた物で、この一画は全て教員関係者ばかりだそうです。
ユーリヤさん一家は毎週末必ず別荘で過ごしていて、夏休み、正月、クリスマスも別荘で過ごすのだそうです。

間取りは2LDK、2階には屋根裏部屋がありますが、まだ未完成。
インフラは上下水道と電気、電話、ガスです。
暖房は薪のペチカとガスと電気を使っていました。
部屋の暖房は不在のときも設定温度を下げて付けっ放しだそうです。

ご主人が日曜大工で作ったサウナが自慢で、昔の小屋を増改築したものです。
ずいぶん久しぶりにサウナに入りました。
サウナとペチカの薪は樫の木で近くの森から倒木などを運んで使います。
飲料水はやはり近くの泉で汲んできます。

今度は自転車に乗れる季節に誘ってもらうことにしました。
近くには森以外にきれいな湖があるそうです。

写真はジオポタML初登場のユーリヤさんとご主人のタラスさん、生後4ヵ月のステファンちゃん
それと巨大な愛犬(名前は失念)これまでこんなに私になついた犬はいない。

後日談:貧乏な人は極めて安い金額で別荘を手放していて、現在所有しているひとはやはり経済的に余裕のあるひとのようです。)

2009年12月1日火曜日

きょうのトピックス

きょう日本大使館から天皇誕生日を祝うレセプションの招待状が届きました。
日時が12月15日になっている。たしか天皇誕生日は12月23日ですよね、なぜ一週間も早めて祝賀会を行うのかわかりませんが、
もしかしたら当日は大使が皇居の宴に出席していて不在なのかも知れませんね

1月後半には大使公邸で新年会をやるのが恒例になっています。私も2006年にお招きいただき、寿司と高級な酒をたらふくご馳走になってきました。

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