“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 愛車 “轟カル号” と共に渡ったXX国からお伝えします。ジオポタ海外支部からの便り

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2009年11月12日木曜日

チュニジア報告最終回<Private Beach>

ホテルの前はプライベートビーチです。遠浅の海岸が続いています。

ビーチの砂はサハラ砂漠の砂のようにさらさらと細かい
Kemerと同じ地中海なのにこちらの塩分濃度はすごく薄い、潮流の関係でしょうか?

トルコのKemerはロシア人に混じってトルコ人の客もいましたが、ここは外国人ばかり、それも熟年が多いから写真の被写体になるようなビキニ美女はあまりいませんでした。ファッションモデルのようなロシアン美女がごろごろいたKemerとは対照的です。

現代のチュニジアはむかしカルタゴを築いたフェニキア人とは民族的な繋がりは薄まり断絶しているようです。国民の98%がアラブ人です。

エキゾチックな美女の写真を期待していた方にはごめんなさい。写真に収めるチャンスがありませんでした。 ドキッとするような美女は時々見ました。学生など若い層は概ね綺麗でした。

写真が撮れない理由は三つあります。
我々の近くには外国人ばかりでアラブ人の観光客がまったくいないこと。
スカーフで覆っている女性の写真を撮るということがどういうことなのか分からないこと。
言葉がまったく通じないこと。

チュニス美女に代えて、雲の上の夕陽の写真で我慢してください。

2009年11月11日水曜日

チュニジア報告その11<Hotel Mahadia Palace>

Mahadiaは海のリゾート地と言っても海に面してリゾートホテルが十数軒並んでいるだけで、トルコのKemarとは比べ物にならないくらい小規模です。

五つ星ホテルの” Mahadia Palace ” この町で最も豪華そうに見えました。
4、5階建ての棟がコの字型にプールを囲んで、海に向って建っています。
ロビー階とプール、ビーチは一層分のレベル差があり、レストランはプールサイドに面した下の階に有ります。どこも非常に明るいのが印象的でした。

レセプション以外、英語はまったく通じません。フランス語だけです。
彼女は才媛だからフランス語ぐらい喋れるのかと思いきや、まったくだめで私同様、挨拶とメルシーぐらいしか知らない。

チュニジアはフランスの植民地だったので、フランスの影響を強く受けているはずで、料理も美味しいはずと期待していましたが、このホテルの食事はその期待にたがわず、極めて美味しかったです。
毎日、朝、夕、豪華な食事を堪能しました。この点についてはトルコのKemarとは雲泥の差があります。

しかし、このホテル以外で供された食事は格別のものはなかった。
チュニジアはイスラム国であり、基本的に酒は飲めない。レストラン以外でアルコール類を求めるのは難儀そうです。
ビールはたった一種類の銘柄しかない、不味いというほどではないけれども旨くもない。選択の余地がないからこれを飲むしかない。
ワインはウエイターの薦めにしたがって赤、ロゼ、白を飲んでみましたがどれも共通した薬ぽい味が気になった。 アルコール類は呑ん衛の国に限る。

ホテルの客層はヨーロッパ各国の熟年層が多い、最も多く耳に聞こえる言語はドイツ語です。外国語放送のテレビチャンネルもフランス語とイタリア語が二つずつ、ロシア語、ポーランド語が一つ、に対してドイツ語チャンネルは五つもある。Kemarはロシア人ばかりでしたが、ここはドイツが優勢みたいです。

2009年11月10日火曜日

チュニジア報告その10<Friguia>

チュニジア旅行の最終日はMahadiaとTunisの中間にあるFriguiaという動物園に行ってきました。

この日の午前中はホテルの近所を散歩して過し、1時にツアーのマイクロバスが来て、出発。動物園が目的ではなく、動物園に併設しているレストラン・シアターで民族舞踊を見るのが主目的です。

1時間半走って動物園に到着、開演の5時まで動物達を見て歩く。
自然の起伏をうまく利用した、良く出来た動物園で主にアフリカの動物を飼育している。

5時になりやっと開演、円形の建物の中心に円いステージがあり、それを中心に放射状に長い食卓が囲んでいる。
ロシアのツアー、ドイツのツアー、イタリアのツアーというようにツアーごとにテーブルが割り与えられる。
マイクロバスに乗っていたのは10人たらず、ここに来て見るとロシアの客が30人以上はいる。
Mahadia以外からも来ているようだ。

突然、黒人による強烈な太鼓の演奏から始まった。同時に飲み物や料理が運ばれてきた。

ワインやジュース、数種類のサラダ、スープ、メイン料理、フルーツなど、一つのテーブルでシェアする方式です。
トルコのKemerのときは先に食事タイムがあり、食べ終わってからショーが始まる方式でしたが、ここでは食事とショーが同時進行です。
どちらが良いかといえば後者の方が時間の短縮になる。

黒人による太鼓の演奏に合せたアップビートの踊りとアラビアの美女による艶かしい踊りとが交互に出てくる。
フィナーレは出演者総出に客も混じってディスコのようになって踊り狂い、あっという間に2時間半の楽しい
ショーは終わりました。

2009年11月9日月曜日

チュニジア報告その9<アトラス山脈>

サハラ・ツアーの締めくくりはアトラス山脈です。

モロッコ、アルジェリア、チュニジアにまたがる山脈で、昔学校の地理の時間に褶曲山脈の典型的な例として教わったような記憶があります。
そこをきょうはランクルに乗って登ります。

草木のまったく無い赤茶けた剥き出しの岩山が延々と連なっています。
巨大な竜が横たわっているようにも見えます。
飛行機の窓からも、雲の上に突き出た山脈を見ることができます。

アトラス山脈のふもとは野生のラクダがたくさん生息していて、道路にはラクダに注意の道路標識がたくさんあります。
昔行ったラップランドの道はトナカイ注意の道路標識が数多くあったのを思い出しました。

山の中腹にある駐車場までランクルで登り、そこからは徒歩です。
山脈は一重ではなく、幾重にもなっていることが分かります。
周りはマッ平らでここだけ突然隆起して山脈を形成しているので、上からの眺めは見渡す限り延々と大地が広がっている。

バスの待つ地点までランクルで戻り、バスはしばらく走ったあと昼食のレストランへ、食事の後は途中トイレ休憩一回と土産物屋に一回寄り、あとはひたすらMahadiaへ向けて帰途の道。窓の外にはまだ延々とアトラス山脈が続いている。

2009年11月8日日曜日

チュニジア報告その8<サハラ砂漠-3>

”四駆で砂漠を爆走”

塩の海の後はバスからランクルに乗り換え、砂漠を爆走しました。
傾斜40度ぐらいの斜面を登り下り、キャーキャー絶叫マシーンさながらです。
しばしサファリラリーの擬似体験をしました。

サハラ砂漠の砂の上で寝てみたい、というKatyaの夢も叶える事ができました。
砂はさらさらパウダー状態で砂時計にちょうど良いと思いましたが、何故か砂時計の土産品を目にしませんでした。

途中、映画スターウォーズのロケをやったというセットを見に行きました。
「スターウォーズ」なる映画は名前は知っていましたが残念ながら見たことがない、セットの雰囲気からすると砂漠で撮影するのはピッタリのような感じはします。

この後ランクルで今回のショートトリップのフィナーレに向います。

2009年11月7日土曜日

チュニジア報告その7<サハラ砂漠-2>

朝の4時にモーニングコールで起こされ、(と云うか、昨夜は砂漠の興奮から殆んど眠れなかった)
4時30分から朝食、5時にはホテルを出発、目指すは塩の海です。
真っ暗な道を走行中は殆んど寝ていました。
どこまでも真っ直ぐな道を延々と走ってやっと止まった。寝ぼけ眼でバスを降りてみると外は寒い!
薄明かりに見える風景は何も無い荒涼としたマッ平らな白い大地、そう”塩の海”です。


昔の大海原が干上がって砂漠化したところです。
表面は砂と塩に覆われています。

彼女の拾い集めた塩の半分は我が家にあり、何かの料理に使おうと思っています。
100%天然の塩ですから。
ここで見た日の出は感動的なくらい綺麗でした。

2009年11月6日金曜日

チュニジア報告その6<サハラ砂漠>

やっとサハラ砂漠の入口に到達しました。
この旅で最も期待していた砂漠が目の前に広がっています。
感無量!

ここからはラクダに乗って1時間のポタリングです。
折角だから砂漠の民の装束になりました。
気分はまさにアラビアのロレンス。

ラクダは馬のようなあぶみがないので、バランスをとるのが難しい。とくに立ち上がるとき、しゃがむとき、前につんのめって振り落とされるような恐さがあります。
普通に歩いているときも前後の揺れが大きく、カメラを操作するのが大変、ファインダーを覗く余裕がないので、めくら写しです。

ラクダの背に揺られて、高いところから眺める砂漠の風景は最高!
違う世界、違う時代にスリップしたような変な気分になってきました。

一人の御者が4頭のラクダを操っている。
最初はおっかなびっくりだったものの後半はすっかり慣れて、御者なしで自分で手綱をとって歩んでいました。
一団からは、いつしかトロイカの歌が聞こえてきた。サハラ砂漠でラクダに乗ってトロイカとはミスマッチですが、いかにもロシア人らしい、

後半になり前方からドイツ語とイタリア語の大群に遭遇!
なにやらラクダの大群を使ったスペクタル映画の撮影に紛れ込んだような気分になります。

今夜の宿は砂漠のオアシスにある"HOTEL LE SAHARIEN PARADISE"

客室はひと部屋、ひと部屋独立した建物が広い敷地に点在している。それらを結ぶ遊歩道にはオアシスの樹木と花が咲き乱れている。文字通り"PARADISE"

暗がりには野生の孔雀が姿を現した。
このホテルに夜着いて、明日の早朝暗いうちに出発するのは勿体無い気がしてきた。
せめて明るいときに写真の一枚も撮りたいところです。

2009年11月5日木曜日

チュニジア報告その5<砂漠の家>

サハラに向う道の両側は見渡す限り、延々とオリーブ畑が続きます。眠くなる風景です。

チュニジアは以外にも石油があまり取れない。工業製品と農作物の輸出と観光収入が大きいようです。食料自給率は100%を超えています。
オリーブの生産高は小さい国ながら世界第5位、その他目立つのはロシア語でフェニキィー(英語でなんと言うのかわからない)ヤシ科の樹になる実で味は干し柿に似いてる。
それとザクロ、日本でザクロはただすっぱいというイメージしかないですが、ここのは大きくとても甘い!

オリーブ畑が終わるとチョボ、チョボと低潅木が生えているだけのなだらかな山の連続に風景が変った。

このあたりの住まいの造り方が面白い。
高低差のある土地を利用して、まづ竪穴を掘り、ここが中庭になる。


この竪穴から必要な部屋数だけトンネル状に横穴を掘り、入口に粗末なドアを取り付ければ完成です。

そんな一軒の住宅を見せてもらった。観光客に公開することで収入を得ているようです。

その後昼食を供されたレストランも同じつくりで、我々の他にイタリアの団体さんが入っていました。

2009年11月3日火曜日

チュニジア報告その4 <El・Djem>

Mahadiaのホテルに籍を置いたまま、一泊2日のサハラへの旅に出ました。

相変わらず朝早くホテルをバスで出発して、最初に着いたのが<El・Djem>ローマの競技場遺跡です。
世界で四番目の規模だそうですが、ローマのコロッセイム以外にどこにあるのか私は知らない。

ローマのコロッセイムはアリーナの床がなく、奈落の底が直接見えていたように記憶しているが、ここはアリーナの床があり"せり" の部分にはグレーチングが嵌めてありました。上から奈落の底を覗くことも出来るし、奈落の底から地上を仰ぎ見ることも出来ます。

我々は例によってロシアのツアーですが、いろいろな言語のツアーがひしめいている。

ガイドはチュニス観光の時と同じ人でした。発音は少しおかしいけれども、話しはとても面白いということです。
バスとドライバーは初日に空港に迎えに来たひとと同じ、これで3度目になるのですっかり顔なじみ。

2009年11月2日月曜日

チュニジア報告その3 <Tunis>

土曜日の早朝4時にモーニングコールで起こされ、4時30分から朝食、5時10分にはホテルの車寄せにバスが到着、このようにしてチュニス観光が始まりました。

チュニスとはもともとフェニキアの女神の名前で、それを首都の地名にし、国の名前にしているのでチュニジアはフェミニストの国といってもよいと思います。

さまざまなシーンで女性に寛大な社会らしいです。
例えば交通違反しても、それが女性ドライバーならば見逃すそうです。
もし、いじめられている女性がいたらチュニジアに行くべし!
ジオポタにはそんなか弱い女性はいないね(笑)

最初に訪れたのはアントニオの浴場、海に面した絶景の場所にあり、ローマのカラカラ浴場よりもロケーションが良い。

そのあと白と青の街とよばれている一画を見に行く、壁は真っ白、ドアや窓枠など壁以外の部分は青く塗られている。

翌日の日曜日に行われる大統領選挙のポスターが目に付く、一番右が現職の大統領で再選を狙っている。結果はどうなったか聞いていない。

海に面した旧市街と新市街の間には人工の海があり、その真ん中を一本の道路と線路が真っ直ぐ延びている。
この人工の海は景観のためだけに作られているそうで、他になんの機能もない。
道の両側に延々と水面が続くばかりでさほど景観に寄与しているとは思えない。

新市街はフランスの植民地時代に建設されているので、フランス風、ベトナムのホーチミンに似ている。

最後に博物館に行った。 ここではじめて日本人の老夫婦に出会った。

2009年11月1日日曜日

チュニジア報告その2 <Mahadiaのバザール>

どこの国へ行っても市場を覗くのが好きです。その国の暮らしぶりが垣間見えるからです。
街で青空市場をやっていると聞いたのでさっく行って見ました。

ホテルからタクシーで5ディナール(約360円)
チュニジアのタクシーは全国どこでも黄色に限られているので非常に分り易い、メーターは付いていない。
乗る前に料金を確認してから乗る。
バザールは大変な賑わいでした。日曜雑貨、衣類、食料品、家具、土産品などで特に変わったものは無い。
お腹が空いたので何か食べようとレストランを探したが、まともなレストランは見つからない。ビールと何か食べ物を買って、ホテルのベランダで食べようという事になり、ビールを探したが売っていない!
そう、ここはイスラムの国、基本的に酒は飲めないのでした。
ホテルに戻り、ルームサービスでピザとビールを頼んで、ベランダで昼食、午後はビーチで日光浴、風が少し冷たい。

2009年10月30日金曜日

チュニジア報告その1

2月にベトナムのニャ・チャン、オーストラリアのダーウイン、ベトナムのフエ、7月にスロベニア、8月はトルコのケメル、そして今年最後の旅行、かつ40カ国目の節目としてチュニジアを選んだのは前にも書いたように、30数年前シシリー島へ行ったときの体験で一度行ってみたい思い続けていたことと、暖かく明るいところへ行きたい、物価の安いところへ行きたいなどの条件から必然的に決まってきました。

今回の旅行もExpress Toursというロシアの旅行社のパッケージです。航空券とホテルだけで、現地での小旅行や観光は現地に着いてからたくさんのメニューの中から選んで申し込むことができます。

飛行機はNouvelairというチャーター便専門のチュニジアのエアラインのA320、目的地はMonastir空港、宿泊はMahadia、チュニスの南200キロほどのところにあるリゾート地です。

空港に着くとExpress Toursと書いてある案内窓口があり、そこで旅行のチケットを見せると何番のバスに乗れと指示される。メルセデスの大型観光バスが待っていた。
満席のエアバスA320からこのバスに乗ったのはたった数人だけ、しばらく待つとまた数人づつ乗ってくる。最終的には30人ほど乗合わしたところでロシア人の旅行社のスタッフが乗り込んでバスはスタートした。後で分かったがこのバスにはキエフ、モスクワ、サンクトペテルブルグ、その他のからの客が乗った。
一時間半ほど走ってMahadiaに着く、いくつかのホテルに止まっては客を降ろしていく、私のホテルは我々だけでした。
ようするに、同じ飛行機に乗っても目的地はばらばら、同じバスには各国、各地からの客が乗り、その客の宿泊先もばらばら、なかなか面白いシステムになっている。

<カルタゴ>
チュニジアは紀元前何年かカルタゴが興隆していた地で、昔読んだ歴史本によれば当時ローマは新興国でフランス、ドイツあたりはまだ未開の地だったころ、強力なカルタゴ軍は度々ローマを脅かしていた。
何度かの戦でとうとう新興国ローマに破れ、その後はローマ帝国の支配下に入る。
現在残っている遺跡はそのローマ帝国時代のものばかりです。
その後さまざまな変遷を繰り返し、現在のチュニジア人は90%以上アラブ人です。
街で見る若い女性の美女の比率はかなり高く、30数年前シシリー島で出会ったチュニジア娘の記憶は間違いでなかったことが確められました。

<チュニジアの鉄道と道路>
鉄道が衰退している国が多い中でチュニジアの鉄道は元気!
北の方には標準軌道もあるようですが、私が見たのは全て狭軌でした。南アフリカ同様1メートルゲージ、日本のよりも67mm狭い、電化されている部分とディーゼル部分があり、地下鉄でもないのにメトロとよばれている。チュニスには路面電車が走っている。街の中を長い編成で走っている風景はイスタンブールと同じです。

道路はフランスの植民地時代に骨格が出来ているので、完全にフランス風、交差点はすべてロータリー式、ベトナムと同様です。
郊外は100キロぐらいで流れていますが街に入ると50キロ制限、幹線道路でも横断歩道の前後はハンプ(凸部)があり、速度を落とさせる。
交通警官の多さが目に付く。

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