“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 愛車 “轟カル号” と共に渡ったXX国からお伝えします。ジオポタ海外支部からの便り

2016年1月7日木曜日

シーギリヤ報告その3 <シーギリヤ・ロック>

シーギリヤ・ロック
この岩山は古代から仏教僧の修行の場だったそうです。5世紀後半、父を殺して王位についた王子が腹違いの弟の復讐を恐れてこの岩山の上に王宮を建てました。11年ほどこの王宮で暮らしましたが、結局弟に滅ぼされ、その後は歴史の舞台から忘れ去られます。

シーギリヤは幅870m奥行き1300mの城壁に囲まれた城郭で、その中央部の岩山の上に王宮を築いた。三重の城壁と(おそらくレンガを積み上げて築いた) 外堀、内堀二重の深い掘りを廻らせた堅固な防備でした。その多くの部分はまだ発掘整備されていないようです。中央道路の両側には多くの池や水路がつくられ、水路は小さい噴水から水流が始まる。この噴水の水はどこからもたらされるのか未だに不明だそうです。

王宮に登る入口は極めて狭く、大勢の軍隊が一度に進入出来ないように考慮したらしい。要所、要所に警備兵の詰め所を配備し、王はノイローゼと思えるほど弟の復讐を恐れていたという。この岩山は花崗岩ですが、王宮に登る階段は白い大理石で作られている。踏み面は狭く、蹴上は大きいのでの掘りづらい、靴底を階段に対して斜めにしないとかがとがはみ出るし、下りはかがとが蹴上に当たる。この大理石の階段も現存している部分はわずかで、あとは鉄骨階段が作られている。

王は4人で担ぐ駕籠に乗って移動したそうです。岩山の上はもっとも高いところに王の居城があり、王に妻はなく、ハーレムを作っていた。子供は500人いたとか。スイミングプールや踊りの舞台とか娯楽施設も充実していたようです。いまはレンガの基礎が残っているのみ。

岩山の上から下界を眺めると周りは鬱蒼とした密林です。たくさんの象が生息しているそうです。

スリランカのこのような遺跡や動植物園、博物館などの入場料は外国人と自国民との格差が甚だしく、外国人は自国民の10倍、20倍が当たり前です。それを露骨に知られたくないのか、それぞれのチケット売り場が遠く離れた場所に別々にあります。シーギリヤに至っては車の進入道路まで別々です。入場券は外国人が30ドル、自国民はおそらく2ドル以下でしょう。

宮殿の案内板、左側(西)が入口、右側(東)は 熱帯樹林のジャングルです。

内堀、かなり深いようです。

外堀はまだ発掘整備されていません。

中央道路の両側は庭園として整備されていたようです。

このように痕跡は残っています。

さらにランドスケープデザインとしての水路があります。

その水路の水源は小さな噴水です。

この噴水の水がどこから流れてきているのか未だに謎だそうです。

真正面にシーギリヤ・ロックが見えています。


シーギリヤ・ロックの登り口、極めて狭い岩の割れ目です。

大理石の階段を登りつめて左に進むと鏡の壁というところに出ます。

この壁はレンガ積の塀のような壁で、漆喰を塗り、さらに様々な技法で塗り固めて研磨して鏡のような光沢の壁面にと仕上げたもので、当時はこの壁に面した反対側の岩にもたくさんの壁画が描かれていて、その壁画が鏡面の壁に写るようにデザインしたようです。

正面(西側)から登り始めて後ろ(東側)へ回り込みます。

ここに限らず全体的に高所恐怖症にとってはスリリングです。

楔で持ち上げられた巨石に注意してください。

敵が攻めてきたときに楔を外すとこの巨石が落下する仕組みです。

東側には平らな小広場があって、ここに大きく口を開けたライオンが鎮座し、ライオンの口から宮殿に登るようになっていたそうです。

現在はライオンの両足だけが残っています。
上から小広場を見下ろす。背後はジャングルです。

頂上の王の居城跡です。

レンガの基礎だけが残り、建物の姿を想像させるものは何も残っていない。

王のプール、ハーレムの女性たちと水浴びをしたのでしょうか。

遥か下に真っ直ぐに延びた中央路が見えます。

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