“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 愛車 “轟カル号” と共に渡ったXX国からお伝えします。ジオポタ海外支部からの便り

2010年5月13日木曜日

ミンスク報告最終回

ミンスク報告最終回<ミンスクで美女ウオッチング>

噂にたがわず美女は多いです。しかしカメラチャンスはあまりありません。
われわれ日本人は白人というと一括りで捉えがちですが、民族によってずいぶん違いがあります。ラテン系と北ヨーロッパは全く違いますし、ウクライナ人とベラルーシ人も違いがあります。どちらも同じ程度美人が多いのですが、ベラルーシ人の方がさらに肌が白く、ブロンドの髪が多い、逆にウクライナ人に多い黒髪の人はまったくいません。たまに見かけてもそれは周辺国の外国人かその血が混じった人だそうです。

ウクライナの美女は心なし尖がった印象がありますが、ベラルーシの美女の方が幾分軟らかい。これは漠然とした傾向で、もちろん個人差の方が大きい。ベラルーシはウクライナとロシアに挟まれていて、ベラルーシの美女はどちらかと言えばロシア人を美人にした感じがします。 さて、ミンスクとキエフどちらが美女が多いかといえばやはりキエフの方が上まわっているように思います。

ツーショットの写真は現地で知り合ったスゥエタさん、インドに傾倒していて、インドに行ったこともあるらしく、ヒンドゥー語の勉強もしているとのこと。インド風のファッション、インドの香、ブラウンの髪をインド人風の黒髪に染めてまでインドにこだわっている。ウクライナ人とポーランド人の血が少し入っているそうです。
メールアドレスを聞き出したので近々メールをして見ます。

最後に:
キエフにあってミンスクにないもの
● トラム(路面電車)
● ケーブルカー
● 吊り橋
● 超高層ビル
● 大規模ショッピングセンター
● 大規模スーパー
● 大規模ホームセンター
● システマチックな都市ゴミ回収設備

ミンスクにあってキエフにないもの
● サイクリングロード
● 親水公園
● 観覧車(チェルノブイリ原発事故で廃墟になったプリピャチ市には真赤に錆びた観覧車がモニュメントのように立っている)

2010年5月12日水曜日

ミンスク報告その6

ミンスク報告その6<市内観光>

最終日にモスクワからの観光客に混じって三時間だけの短い市内観光をしました。

11時に指定されたホテルに向うと大型観光バスが待っていて、既に30人ほど客が乗って待っていました。係りの女性に100,000ルーブル支払ってバスに乗り込む。二人で約3,000円とても安い。ガイドが懇切丁寧に説明してくれる。もちろん私はちんぷんかんぷん。

観光コースは旧市街地を中心に見て歩き、その近くの教会でパイプオルガンの演奏を聞き、そのあとバスに乗って郊外の巨大な国立図書館へ行き、屋上の展望デッキからミンスクの街を眺め、再びバスに乗って街の中心部に戻ってくるというコースでした。

この図書館はとてつもなく巨大で、とんでもない形をしていて、かつ夜になると不夜城に変身する。
夜は行かなかったので写真はありません。興味のある方は関係ブログを見てください。

2010年5月11日火曜日

ミンスク報告その5

きょうの戦勝記念日は65年目の節目だけれども、軍事祝賀パレードは行われたものの、ミンスクと違って街にのぼりも旗も何の飾りもなく、同じような国と思っていましたが、ずいぶん違うものです。

ミンスク報告その5<都市公園>

街の中にたくさんの公園があり、特にシヴィスワチ川の川べりは親水公園になっている。

サイクリング道路もあり、市民の憩いの場になっています。
ミンスク公園とそれに隣接する植物公園はまるで森の中にいるようで街の中とは思えない。

ミンスク公園は出入り自由です。

鬱蒼とした林に囲まれた遊歩道を進むと遊園地がありました。ジェットコータスター、フライングシップ、などなどの遊具や面白いものでは野外カラオケステージがあり、歌の好きな女性たちがコスチュームを決めて歌手になった気分で楽しんでいました。
綿飴が3,000ルーブル(1ドル)、日本と変らない。ロシア語で“サッハラヤ・バタ”、直訳すると砂糖の綿です。

昼食はここでシャシリキと焼きたてのナンにチーズを挟んだものを食べました。シャシリキはとても肉が柔らかく、これまで食べた中で最良チーズサンドのナンは癖のない味でビールのつまみにピッタリ。

隣接する植物公園は僅かな入場料が取られる。熱帯植物園はさらに別料金になっている。まだ少し季節が早いので水仙の花ぐらいしか咲いていない。
古い映画に”黒水仙”というのがありましたが、黒水仙は実際存在するのでしょうか、それとも別な意味合いで使っているのでしょうか

きれいな白鳥の湖がありました。熱帯植物園はやたら蒸し暑いだけで大した植物はない。街の中にこのような鬱蒼とした緑があるのは羨ましい。

2010年5月10日月曜日

ミンスク報告その4

きょうは65回目の戦勝記念日です。
明日はその振替え休日です。
街のメインストリートでは軍事パレードが盛大に行われていました。

ミンスク報告その4<ミンスクの住宅>

ホテルの近くのアパートは道路に添って平行、直線ではなく、なだらかにカーブした壁面が長々と続き、囲み配置になっているのが多いです。住棟に囲まれた中庭側には駐車場、公園、保育園などがあり、各住戸の入り口は中庭側からアクセスします。表の喧騒から遮断された静かな住環境を作っています。昔の公団住宅のようなダストシュートが付いていましたが、もちろん今は使っていない。

高層アパートもたくさん建っています。現在も続々建設中です。ホテルの隣に建設中のアパートはメーデーもなんのその、連日、早朝から深夜まで突貫工事が行われていました。

郊外にはいかにもソ連といった雰囲気の住宅団地がありました。壁面に何やら気持の悪い壁画が画かれています。

キエフにはこのようなアパートはありませんが、ウクライナの地方都市には同様のアパートがあるそうです。

2010年5月9日日曜日

ミンスク報告その3

ミンスク報告その3<交通と通貨>

ベラルーシ経済はインフレがかなり酷いらしく、通貨ベラルーシ・ルーブルのレートは1ドル約3,000ルーブル、金銭感覚が全く掴めない。マクドナルドでマックチキン2つ、カプチーノ2つ、ポテトフライ1個で26,800ルーブル、高いのか安いのかピンとこない。この国にコインはない。紙幣は100,000ループルから10ループルまである。

地下鉄は2本あり、駅の造り、車両はキエフと同じ、車内はキエフよりも奇麗。路線はキエフと違いごく浅いところを通っている。地形の違いが理由です。

もっぱら市民の足はバスとトロリーバスです。2両連結が多く、各方面に頻繁に走っています。

郊外のホテルから街の中心部へ毎日何度となくバスを利用しましたが、切符を買ったのはごく僅か。切符はバス停近くのキオスクか車内で運転手から直接買う事ができる。それを車内に取り付けてあるパンチャーで自分で穴を開ける。しかしそれをチェックできるシステムになっていない。

長いバスに4ヵ所ドアがあり、どこからでも自由に乗り降りできる。だれも切符を買ってパンチしている人を見たことがない。定期券はあるようだけれども、皆が持っているとはとても思えない。たまに車掌が乗っていることがあり、その時だけは車掌から切符を買った。キエフのバスも全く同じシステムだけれども、無賃乗車しているのを見たことがない。律儀に切符をパンチしている。

ミンスク中央駅はたいそう立派でたくさんの人間で賑わっていました。鉄道が隆盛を保っていると訳もなく嬉しくなります。駅の構造はキエフと同様、地下コンコースと高架コンコースの両方から直接プラットホームにアクセスできるので、だれでも自由にプラットホームに立つことができます。

この駅から国内はもとより、モスクワ、サンクトペテルブルグ、キエフなど各都市へ国際列車が発着しています。

2010年5月8日土曜日

ミンスク報告その2

先週末からすっかり夏のような陽気になりました。去年の今頃は寒くて震えていたのに。
マロニエの花が満開になりました。サクラはまだです。

近所に漢字で”魚”と書いた魚屋さんがオープンしたので、マグロとうなぎの蒲焼、しめ鯖を買ってきました。しめ鯖は青森県八戸産です。うなぎの蒲焼は”うなぎ蒲焼、特上”と日本語で書いてある以外はロシア語なので、おそらくロシア製でしょう。このうなぎは以前3回ほど食べましたがなかなかいけます。ホーチミンの日本レストランのうなぎよりはかなり旨いです。タレの味が日本と変らない。とりあえず今日はしめ鯖を試食、旨い、こんどは寿司にしてみます。

ミンスク報告その2<ミンスクの街の風景>
ミンスク市の人口は200万人弱でキエフよりも小さい、しかし街並は立派です。キエフと違いなだらかな土地に出来た都市なので真っ直ぐな道が多く、基本的に碁盤の目になっている。道も広いので全体的に広々した感じがします。街のあちこちに極彩色ののぼり、旗、幕などが飾られていましたが、明日の5月9日は65回目の戦勝記念日なのでそれを祝う飾りつけです。ここキエフでもいろいろ催しものがあるようです。

街の真ん中をシヴィスワチ川が蛇行して流れていて、キエフのドニプロ川のような大河ではないので、街の景観に溶け込んで美しい景色を作っています。この川に沿って自転車専用道路も整備されています。街のインフラもキエフよりは進んでいて、どこでも自転車で走りやすくできています。レンタルサイクルもあるようです。(天気が悪かったので借りなかった)

ミンスクはキエフよりも全体的に清潔な印象を受けます。ゴミなどもあまり落ちていない。

寒い国なので地下街が発達しているのはキエフ同様です。
世界に名だたる産業など無いと思っていたら、ありました。繊維産業、特にランジェリーの”MILAVITSA”というブランドはロシアやウクライナのみならずヨーロッパ全域でトップブランドなそうです。キエフのショップよりも半値近いと云っていました。

MILAVITSAのブログを添付しました。興味のある女性はブログを見てください。
http://www.milavitsa.com/

2010年5月7日金曜日

ミンスク報告その1

ミンスク報告その1<IBB HOTEL>

ベラルーシはソ連時代の地図を見ると白ロシアと書いてありました。ベラルーシはウクライナ同様、ソ連邦の時代からベラルーシとして国連に加盟していて、一定の独自性を保っていたようです。ベラルーシの起源は9〜10世紀ごろのキエフ・ルーシにありますから、ウクライナ、ロシアとほぼ共通した歴史を持っています。国名のベラルーシは白いルーシという意味です。因みに日本語で云うロシアは実際の発音はルーシァです。ウクライナ、ロシア、ベラルーシの原点はキエフにあり、です。

先月30日、仕事が終わってから空港へ向かい、ミンスク行きのフライトはベラルーシのエアラインBELAVIAのCRJ100(CANADAIR50人乗り)です。定刻20時40分にテークオフして1時間の飛行であっと言う間にミンスクに到着、機内サービスは飲み物だけ。
空港からはタクシーに乗ってホテルに向いました。しばらく灯り一つない真っ暗闇の道をひたすら走り、これが首都の国際空港からのアクセスかといぶかしく思いましが、そのうち街路灯のある高速道路にでました。いやにゆっくり走っていると思ってスピートメーターを見ると60を指している、マイル表示でした。最高速度は90キロに押えられているのだそうです。キエフは制限速度130キロですが150〜160キロ程度で流れています。それに慣れているから90キロのスピートは物凄く遅く感じます。

予約したホテル”IBB HOTEL”はミンスクの市街地ではなく郊外の住宅地にある小じんまりしたホテルでした。
安いのと極めて清潔な感じが気に入ってこのホテルにしたとのこと。このホテルはドイツ資本のホテルチェーンで、建物のデザインは徹底してドイツ風、サービスもドイツそのもの、その為かドイツ人客もたくさんいました。
ホテルにしては身障者や老人用の設備が余りにも整っているので、当初サナトリウムか老人ホームだった建物をホテルに転用したのかと思いましたが、そうではなくこのホテルのポリシーのようです。 

ホテルの駐車場にはベラルーシの車に混じってロシアナンバーの車が4,5台止まっていました。    ウクライナナンバーも一台ありました。地続きなので近隣国から車で簡単に来れるようです。


ホテルはなだらかなカーブを画く宿泊棟とエントランス、レセプション、多目的ホールからなる棟とレストラン棟の三つの棟で構成されています。一面ガラス張りの廊下は明るく気持が良いです。レストランも嫌味のない趣味のよいデザインで好ましい、着いた晩に何か飲みたいと思いましたが、結婚式のパーティで貸切で使っていました。

2010年5月6日木曜日

ミンスクの”カーチャ”

ミンスクは毎日曇り、小雨、時どき晴れ、肌寒い気候でしたが、昨日の午前中キエフに帰るとこちらは真夏のような天気でした。

帰る日の朝、起きがけにテレビを点けたらアイスランドの噴火がまた激しく噴煙を上げていてヨーロッパ各地のフライトが運休していると、ニュースで流していました。

ここの空港がどうだか分からないけれども、もし飛ばなかったら鉄道で帰ろうと腹を決めて空港へ行ったら、何事もなかったかのように定刻よりもかなり早く離陸する事ができました。

きょうはミンスクの奇麗な鳥の写真を送ります。
熱帯植物園で飼われていた鳥はみな名前が付けられていて、写真のインコは”カーチャ”でした。

2010年5月5日水曜日

ミンスクの花

メイデーの連休を利用してベラルーシのミンスクに行ってきました。

ウクライナに来る数年前、ある民放テレビの番組で世界で最も美女が多い国としてベラルーシを紹介していました。
レポーターがミンスクの目抜き通りで、歩いてくる若い女性をつかまえてはインタビューする内容でした。来るひと来る人みなグラビアモデルのような美女ばかりでびっくりしたものです。
これは是が非でもミンスクに行ってみなければと思ったものです。

ベラルーシの隣の国に住んでいながらこれまで足を向けなかったは、ベラルーシはビザが必要なことと、美女はウクライナで充分満足しているのでわざわざビザまでとっていくまでもないなと思っていました。

なぜ今回行く気になったかと云えば、短い休みにお手軽に行ける国が少なくなってきた為です。

ベラルーシのビザ取得はエージェンシーのインビテーションが必要なので厄介です。
ただしビザ発給の手数料は無料でした。
一部のインターネットサイトで空港でビザ取得が可能という記述がありましたが、大使館で確認したところではそのような事はないようです。

きょうはミンスクで咲き誇っている花々をお届けします。

チューリップとスイセンが多く、タンポポも満開でした。

2010年4月27日火曜日

取りとめのない話

ジオポタゴールデンウィーク企画はみちのく横断ですか、いいですね。山寺は、かの松尾芭蕉も真夏に訪れて次のような句を残していますね。

「山寺や岩にしみいる蝉の声」

私もこの情景に逢いたくて10数年前の夏に山寺に行きました。 私の子供のころは階段に沿ってコンクリート製の滑り台があって茶店で何か尻の下敷くものを借りて、帰りは長〜い滑り台を滑って帰ってきたものです。10数年前に行ったときは跡形もなく消えていました。 境内で売っている醤油で煮込んだこんにゃくおでんも懐かしいです。今もあるかな?

先週の土曜日は再びバリショイ・バレーを見てきました。演目はカルメン・スイートとシェラザードです。

カルメン・スイートの音楽はオペラのカルメンと同じですが、振り付けはモダーンでした。 シェラザードは千夜一夜物語ですから衣裳が艶かしい。 きょうの写真はもっぱら観覧席の様子です。 キエフオペラ劇場の客席は典型的な馬蹄形をしています。 この形がオペラ劇場のベストだと思いました。客席の臨場感が最大に発揮できますから。

今回は3階ギャラリー席を取りました。 横2席ずつ壁で仕切られていて、ドアも別々です。なんかVIPなった気分、
これで1800円ぐらい、安いです。 舞台も奥まで良く見えるし、オーケストラピットも間近に見ることができる。 次回はアイーダを最上段から見てみたい。

日曜日は久しぶりに晴れたので、シーズンを控えて足慣らしにアパートの近所を少しだけ走りました。 気分爽快!

日本ほどではないですがウクライナもゴールデンウイークです。どこか近場へ旅行しようと考えています。

2010年4月18日日曜日

グルジア報告最終回<トビリシ散歩>

グルジアに来てから毎日曇り時どき小雨の天気が続いていましたが最終日になり初めて晴天になりました。

帰りの飛行機は夕方6時発なので4時までにホテルに戻ればよい。メトロと徒歩でトビリシの街をのんびり散策することに。

カーチャはロングスカートに穿き替えてウキウキ気分!

 悪ふざけでソ連の帽子を被りたいという。ロシアと戦争している国でCCCPのロゴが入った帽子はちょっと危険なのでは、写真だけ撮って止めさせました。(ロシアとグルジアの紛争はとっくに停戦したと思っていましたが、こちらの人達はいまだ戦争中という認識でした。)

(因みにソ連を表すCCCPはロシア語に触れるまで何のことか分かりませんでしたが、英語のSSSRに相当するロシア文字でした。)

閉鎖中の由緒ありげな古い映画館”シネマハウス”の一画にあるレストランだけがオープンしていました。店内は1960年代の映画のスタジオをテーマにした内装で、懐かしいジャズが流れています。

壁にはマリリン・モンローやオードリー・ヘップバーン、アラン・ドロンなど往年のスター達の写真が貼ってあり、あちこちに撮影に使う道具などがちりばめられています。

映画好きの老人達がジャズを聴きながらコーヒーを飲んだり新聞を読んだりしている光景はたまらなくいい雰囲気です。

2010年4月17日土曜日

グルジア報告10<夜景>

こちらはいま大変なことになっています。

アイスランドの噴火でヨーロッパ全域の飛行機が飛んでいません。
キエフでは昨日、国内線だけ飛んでいましたが、きょうは空港が全面的に閉鎖されました。
オバマ米大統領はじめ各国首脳が参列予定のポーランド大統領の葬儀がどうなるのか気になるところです。

それにしてもポーランドはついていない、スターリンによるポーランド人大量虐殺の式典に参加する為にロシアに向った政府専用機が現地で着陸に失敗して大統領はじめポーランドの要人が全員亡くなり、その葬儀がまた飛行機が飛べず開催が危うい。経済的影響も極めて深刻です。


グルジア報告その10<夜景>
トビリシに限らず、キエフでもヨーロッパでも街の夜景が美しい。

ウクライナやグルジアのように貧しい国でも街のライトアップだけは熱心です。夜の街は本当に美しい、その街に夜到着するとさらにその印象が強い。

以前「日本はライトアップの文化が貧困だ」というような意味合いのことを照明デザイナーの石井素子さんが朝日新聞のコラムに書いていました。
確かに日本の都市はただ明るいだけで美しくないですね。看板とネオンだけが明るく、ライトアップのやりようがない、これも一つの文化でしょうか?


キエフのライトアップは幻想的ですが、トビリシは更にカラフルな照明が特徴みたいです。ドーム屋根の上に国旗を掲げている建物は大統領官邸です。

これまで見たライトアップで今でも印象に残っている街はドブロブニクのスタリゴーラッド、セビリア、キエフのライトアップもなかなかきれいです。

2010年4月16日金曜日

グルジア報告9<グルジアのジャパン>

ソソの母親リエィーラが墓参りをしている間、我々3人とソソの親友を誘って郊外の観光スポットへ出かけました。途中の山の上にも古い教会がポツンと建っています。

走ること20分ぐらいで最初の目的地に着きました。4世紀の城壁が残る遺跡でした。地元の人もチラホラ散歩に来ています。

写真の3人連れの二人は母親と息子です。日本とウクライナからの珍客に興味深々でした。この母親からイースター玉子をもらいました。たくさん作ってきて出会った人に配るようです。

イースター玉子は殻を茶色に染めたゆで卵です。何かと一緒にゆでると茶色に染まるようですが、何だったかは言葉が分からなかった。お互いにイースター玉子をぶつけ合って割れた方が負け、没収される。このような遊びをやります。

落石が多い山道を上り下りして河原に出るとそこには温泉が湧き出していました。目の前はせせらぎと鬱蒼とした新緑です。露天風呂にしたら最高のロケーションだと思いました。

<グルジアのジャパン>
この近くに地図にも載っていない小さな村があり、その村の名前がジャパンという。

今朝ホテルで軽い朝食を食べたきり何も食べていない。今日はイースターなので店もレストランも全て閉っている。帰り道やっと一軒のシャシリキ屋を見つけた時は既に日が暮れてからでした。

グルジア報告8<小旅行2、SENAKI>

セナキの町は人口数万の小さい地方都市です。
グルジアに侵攻したロシア軍はここに検問所を置いていました。

ソソの実家は道路から石段で数メートル上がった見晴らしの良い土地に建っていました。
現在は管理してくれる女性が一人住んでいます。
久しぶりの帰郷だったようで近所の人達が集まってきて再会をたいそう喜んでいました。
写真はソソの実家(レンガ壁の建物、今は半ば朽ち果てていましたが当時は豪邸だった面影は残っています。屋内プールもありました。)


ソソの老母”リエィーラ”と幼友達(名前は失念)とグルジアのお墓、ウクライナの墓と全く同じ風景です。

リエィーラが墓参りをしている間、我々は郊外の観光スポットへ出かけました。

2010年4月15日木曜日

グルジア報告7<小旅行1>

3日目はソソの車に乗せてもらい西にあるセナキまでドライブです。

セナキはトビリシから約300キロ西にあり、ソソの家族が昔住んでいた町で墓もここにあるそうです。イースターは日本のお彼岸に相当するので、教会でお祈りした後、墓参りするのが慣わしです。
ソソの母親が墓参りに帰郷するので我々もそれに便乗させてもらいました。

黒海へ注いでいるリオニ川に沿って途中何度も観光スポットに立ち寄りました。11世紀ごろの教会がたくさんあります。

SENAKIから50キロほどで黒海に面したPOTIですが、残念ながら時間がなく断念!
途中の道端に奇妙な形をした廃屋があり、私は住宅かと思ったら、カーチャは公衆トイレだという、ソソはレストランだという。
このあたりは焼き物の産地のようです。
同じ形の住宅がびっしり建ち並んでいる一画が続き、何かと思ったらオセチアの難民収容所でした。

グルジアとロシアの戦争は南オセチアの分離独立派をグルジア軍が爆撃したことに端を発しているわけですが、戦争状態になったオセチアから大量の難民がグルジアに押し寄せました。

近くにはロシアと戦闘があったグルジア軍の基地もありました。

・写真は古代の砦の遺跡です。

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