“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 愛車 “轟カル号” と共に渡ったXX国からお伝えします。ジオポタ海外支部からの便り

2009年2月24日火曜日

ダーウィン3

空港から乗ったタクシーはなかなか優れもので、車椅子の客が車椅子に乗ったままリヤゲートから乗り込める工夫がしてあり、自転車をその部分に乗せるとぴったりです。

それにしても道が綺麗、シンガポール同様に修景も素晴しいが、道路の造りも立派、舗装の凹凸がまったく無い。

予約したホテルはカレン・ベイというヨットとプレジャーボートのマリーナの一角にあり、正確に言うとホテルではなく、長期滞在型のホリディアパートです。
チェックイン時間を聞くと午後2時だというので、取りあえず自転車を組立てることにした。
通り掛かりの人が「ここで自転車屋さん開業かね!」とジョークを飛ばしていく。

そうしているうち、10時には部屋の用意ができるとのことなので、ウォーミングアップを兼ねてマリーナ探索に、とにかく人がいない!
街の津々浦々まで人とバイクがひしめき合っているベトナムから来ると異次元の世界のようです。
一軒のカフェテラスを見つけて朝食に在りついた。

人口11万人にしては、街が広く、道路網も充実している。田舎の雰囲気はまったく無く、大都市の一角を切り取ったような印象です。
人口密度が極めて薄いにもかかわらず、街の隅々まで美しく保つためには相当のエネルギーと費用が必要で、その経済力はどこから来るのでしょう?

ダーウィンは陸と海とが複雑に入り組んでいるので、どこに行っても海に面しているような感じをうけます。
海岸線に面して自転車道路が作られていて、そうでないところも自転車レーンがあります。

最も車も少ないからどこでも気持ち良く走ることができまが。

オーストラリア人の印象
1.極めて親切:道i迷って地図を広げていると必ず駆け寄って来て教えてくれる。
2.道で出会うと挨拶をする。
3.ベトナム人は口を開けば「この自転車はいくらした」であり、オーストラリア人は「どこから来た」が最初の質問、私はベトナムから来たと答えている。
ご存知のようにダーウィンは1942年2月19日に日本軍の艦載機により猛爆撃を受けたところで、真珠湾攻撃よりも大規模で激しかったようです。
その記念日の直前だったので、日本人と言いにくかった雰囲気がありました。
4.刺青をしている人がやたらと多い、女性も足首などに小さいのをしているひとがけっこう居た。
5.一般的に白人は日本人以上に禿げ易い。かれらは薄くなると潔くスキンヘッドしている。これは参考になった。

食べ物のこと
オーストラリアはイギリスからの移住者で出来た国だから当然食べ物は美味しいはずがない。
ホーチミンのステーキハウスで食べたオーストラリア牛がすこぶる美味しかったので、ダーウィンでも食べてみた。肉は柔らかく、マッシュルームのステーキソースも素晴しく美味しく、マッシュドポテトも美味しかった。しかし肝心の肉の味はいまいちであった。

写真説明
01  泊ったホテル、左端がそのホテルです。地下2階、地上8階私の部屋は6階でした。
地下階は駐車場です。こんなに国土が広い国なのに駐車場を全て地下に設けて建物のまわりは植栽にするのは発想がリッチです。
ゆるいカーブを画いた向いあった廊下に面して部屋があり、あいだは最上階に屋根が架かった吹き抜け空間になっいて、1階はホールになっている。風が通り抜けて気持が良い。1階にはプールも備わっていた。
部屋は2部屋続き部屋にできる間取りで、ベランダは隣室と共用、アイロンやジューサー食器などがそなわっているがキッチンがなかった。おそらく隣室側にあるのかも知れない。
ベランダからは海が見える。
02    マリーナの風景
03  マリーナのカフェテラス、船を眺めながら朝食をとった。
04  空襲の記憶を留めるための記念碑

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