“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 愛車 “轟カル号” と共に渡ったXX国からお伝えします。ジオポタ海外支部からの便り

2015年8月6日木曜日

シーギリア・ロック

スリランカ便りを楽しく拝読しております。
内陸部と言えば、シーギリア・ロックも見事ですよ。「よくもまあこんな岩山があるもの」と感心しましたし、そこに宮殿を作ったとビックリ! 私の撮った写真もありますが、デュエルンさんから紹介して頂けるのを楽しみに待ちます。宗教の面では、ムスリムとヒンズーの方が目立ちました。 --ケンボー


ケンボーさん、こんばんは

シーギリアはスリランカで最も有名な観光スポットです。巨大な岩山もさることながら女性の壁画がエロチックで素晴らしいですね。
残念ながら今のところシーギリアへ行く予定はありません。オフシーズンであっても大変な混みようです。今はサマーバケーションの季節で外国人のみならず地元の学生なども大挙して訪れているようで、登るのも大行列だそうです。そのような訳で行くのを躊躇しています。

私が滞在しているニゴンボはこれまでに見た限りでは、モスクが一つ、ヒンズー教寺院が二つ、仏教寺院が二つ、キリスト教教会が無数といった感じですがニゴンボを離れると状況は一変し、仏教寺院ばかりになります。

スリランカの国教は仏教で、公的機関、役所や空港のヘッドオフィスなどには仏像が飾られています。毎月、満月の日はボヤ・デイーといって祝日です。これは仏教から来ています。この日は酒を買うことも飲むこともできません。事前に買い溜めして自室で飲む以外に方法がありません。

前にも報告しましたが、スリランカはシンハラ人が約70%、タミル人が約20%、その他という人口構成です。
シンハラ人もタミル人ともに四、五世紀前後にインドから渡ってきました。シンハラ人はインド北部から、タミル人はカルカッタなどインド南部からの移住です。シンハラ人は大半が仏教徒、タミル人はヒンズー教です。ヨーロッパの植民地時代まで大した衝突も無かったようですが、何故ならばイギリスなどはシンハラ人もタミル人は差別がなかったからです。

状況が変わるのは独立後です。多数派のシンハラ人によるタミル人への差別、抑圧が始まります。これに抗議したタミル人が蜂起し、内戦が勃発します。少数派タミル人には後ろでインドが暗躍します。まるでウクライナのドネツクで今起きている紛争と同じ構図ですね。この内戦が26年も続き、9年前に終結したばかりです。しかし、今でも多少の小競り合いはあるようです。

四、五世紀前後のインド北部は仏教が興隆だったのでしょうか、それとも仏教徒が迫害されてセイロン島へ逃げ延びたのでしょうか?

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