“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 愛車 “轟カル号” と共に渡ったXX国からお伝えします。ジオポタ海外支部からの便り

2010年4月10日土曜日

グルジア報告1<到着・プチホテル>

18:55分、キエフを離陸したウクライナ航空のおんぼろボーイング737は定刻の22:15分にトビリシ空港に着きました。
ウクライナとグルジアは時差+1時間なので2時間20分の飛行です。


インターネットで予約したホテルからは迎えのタクシーがくる筈でした。
メールには私の名前を書いた旗を持ったタクシーが空港で迎えると書いてありましたが、ところがそれらしいタクシーはいくら捜しても見当たらない。


携帯電話でホテルに電話しようと試みてもつながらない。(イスタンブールではウクライナのシムカードで掛けられたのに


タクシーと叫びながら一人の男が近づいてきた。
白タクだなと分かったけれども事情を話すと彼がホテルに電話してくれた。
適当なタクシーに乗ってホテルに来るようにとのこと、まったく無責任な話し!


仕方がないので彼の車でホテルに行くことにしました。
車中でいろいろ聞いた内容によると、彼は名前をソソと云いウクライナ生まれでウクライナのパスポートを持っている。

父親はグルジア人(故人)、母親がウクライナ人とグルジア人のハーフ、グルジアで旅行エージェンシーを営んでいて、トビリシ旧市街に小さなホテルも経営している。


我々が予約したホテルは場所が悪く、どこへ行くにもタクシーを呼ばなければならない、という。
途中下車して彼のホテルを見せてもらった。


ルーム数8部屋程度の極めて小さいホテルながら設備は充実しているし、清潔に掃除も行き届いている。

この後、予約したホテルに行ったが、確かに場末といった感じ、解約出来るか”ソソ”に交渉してもらい、違約金なしで解約することが出来て、彼のプチホテルに落ち着きました。


写真は”ホテルポント”テーブル三つしかない食堂、ホテルの女将 とツーショット
ホテル周りの風景、壊れかけた建物が目立つ、ロシアとの戦争によるものか不明?

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